いつくしみ深き

これまでに何回結婚式に呼んでもらっただろうと思って二次会だけの参加も含め指折り数えてみたら、少なくとも10回を超えることがわかったところで数えるのをやめた。

結婚式は新郎新婦の数だけ色んな形があるものだと、結婚式に行くたび思う。ただ席に座ってふたりを眺めているだけの私でさえも感じるのだから、ブライダルのお仕事をされている方なんてもっとそれを感じておられることと思う。

ホテルや結婚式場はもちろん、本物の教会や(式場についているのではなく)母校の中庭で執り行われることもあったけど、そういえば会場被りは今のところない。

大体の流れはそこまで大きく変わらないけれど、余興があったり友人からの映像があったり、家族や周りの人たちとの関係性の中で少しずつ式次第は変わっていく。

 

もちろんどの式でも幸せなふたりとその家族や友人の姿を見ていて幸せな気持ちを分けてもらったし、いいなあ、とか花嫁さん綺麗だったなあ、とかほんわかした気持ちで帰路につくのだけれど、

結婚式に行く回数が増えれば増えるたび、「私は結婚式はいいかなあ…」という気持ちが強くなった。

理由は大きく分けて二つあって、一つは「恥ずかしさ」。

クリスチャンでもないのに歌えるようになってしまった賛美歌312番とか、記念になるからだろうとは思うがバズーカ型のクラッカーを新郎新婦で鳴らしたり風船を空に飛ばしたりするのとか、正直なぜこれをやるのか…という気持ちになってしまった。

一挙手一投足を見つめられて写真に収められるのも、自分はやっているくせにいざ撮られる側になることを思うと恥ずかしさがあらゆる気持ちの上に乗っかってしまった。

とにかく、恥ずかしい。目の前の新婦がやっていることをいざ自分に置き換えて想像すると、やめやめ!!という気持ちになる。

 

もう一つは「誰を呼んでいいかわからない」とか「誰に何を頼んでいいのかわからない」。

あの人を呼ぶならあの人も呼ばないといけない?とか誰に何を頼めばいいだろう、とかまだ式場も予算もそもそも結婚式をするのか、できるのかさえ決まっていないのに、披露宴の会場を見渡して勝手に妄想したり絶望したりして、勝手に疲れてもうええわ…と結婚式やりたい!という気持ちがしゅるしゅると音を立てて小さくなっていった。

友達が多いわけではなく、特定の誰かとぐっと深い付き合いをする感じでもなく、割とふんわり付かず離れず過ごしてきたことも、結婚式を億劫に思う気持ちに拍車をかけた。

 

だから、自分がもし結婚式ができることになったら神社で(下鴨神社出雲大社がいいな)親族だけ呼んで、そのままお食事だけして解散!みたいなのをイメージしていた。

「結婚式別にいいかなあ」と言った時に「それでもパーティーぐらいはやるでしょ?」と言われたこともあったけど、人を集めて会場決めて何やらというのもなんだか考えただけで面倒で、今思えば友人達には本当に申し訳ないけれどもうそれもいいよやんなくて…と思っていた。

 

昨日、結婚式に行った。

元々は付き合っている人の高校時代からの友人だけど、「友達の友達」じゃなくて「俺の友達」と認識してくれていて、だいすきな友達のひとり。

結婚前から奥様も紹介してくれていて、美人でふんわりしていて優しくて距離の詰め方がとても自然なのがありがたくて、なんて素敵な彼女をつかまえたんだ!と思った。

そんな二人が結婚式を挙げることになった。

「アットホームにしたい」という二人の希望が随所にあって、すごく居心地の良い式だった。

挙式は人前式で、承認の証は「日本酒で乾杯」。(ちゃんと新婦に由緒のある蔵元の大吟醸だった 美味しかったです)

お色直しもケーキカットとファーストバイトもブーケトスもなかった。そういえばケーキカットのない式は初めてだった。

新郎側の挨拶は主に新郎への愛に溢れた悪口で、新郎の友人たちが聞いて爆笑するという空気感が列席しているこちらまでなんだか心地よかった。普通はこういうの笑ったりできないんだろうなあ、ということができている。

 

挨拶をしている新郎新婦のご友人たちを眺めていて思ったのは、「結婚式に列席してもらう」ことも含め、「誰かになにかをちゃんと頼む」のって大事だなあということ。

なんと私自身も今回初めて前に出て喋る機会をいただいて(挨拶ではなく、誓いの言葉を問いかける係)頼まれたことが嬉しかったというのもそうだけど、こうやってちゃんと結婚式に呼んでもらえることで、新郎新婦の幸せが第三者の私まで広がっていくんだなあ、ということにじわじわと感動してしまい、あんなに披露宴やりたくないとずっと言っていたのに帰り道で「披露宴…やってみてもエエかもな…」と思ってしまったのであった。

 

元々私は自己完結しがちな性格なのだけど、30を手前にしてようやく「自己完結してしまうと広がりがないな」と思うようになった。

自分でできること、考えられることにも限界があるし、「自分」のエリアを頑張って広げようとするよりも誰かの力を借りられるようになる方が面白いんじゃないかなーと。

そりゃもちろん自立というか自力でできることが多いに越したことはないけれど、みんな得意なこととか好きなこととか違うわけだから、もっと上手いこと分業できればいいのに…と思うことが増えた。

この先人生を過ごしていく中で、「この人とこれからも分業させてもらいたいなー」「これからもよろしく」をお伝えできる機会ってなかなかないし、そもそも親族だけでこじんまりとではなく友人を呼ぶということ自体がある意味その「分業」みたいなもんなのではと思うので、前向きに披露宴も開催することを検討してもいいかなと。

 

そのためには「自分らのやりたいこと/やりたくないこと」×「呼んだ人たちに楽しんでもらうこと」を掛け合わせるとどうなるか、をちゃんと考えねばなあと思ったのでした。

 

 

※結婚の予定はまだありません!